僕がフリーランスエンジニアで月収40~50万円を稼ぐようになるまで2

大学を卒業してから、僕は就職しなかった。家庭教師のバイトを続けながら、音楽活動をしていた。ウェブデザイナーとかプログラマーみたいなウェブ系の仕事をしたいなと思って、ヒューマンのマクロメディアのFlashとかDreamweaverとかFireworksを習得するための講座を受けに行った。その最後の方に、ネットの求人サイトで色々応募して面接を受けに行った。そして僕がバイトで入ったのがライブチャットというネットキャバクラみたいなサイトを運営している会社だった。ライブチャットは映像と音声と文字をリアルタイムにやりとりできる当時は革命的ともいえるウェブサービスで、Flash Communication Server(現Adobe Media Server)という当時100万円もするソフトを利用してFlash Playerを使っている。それが理由で僕はライブチャット運営サイトにバイトで入った。

ここでは僕は正式なシステム開発の仕事はほとんどしていない。主な仕事は、サイトの運営とか広告のお手伝いだった。サテライトサイトを作ったり、相互リンクをめちゃくちゃしまくってSEOで上位表示を狙ったり、アフィリエイトのバナーの依頼とか、成果の承認可否、アドワーズ入稿、月極広告の入稿、売り上げ管理などをしていた。10時~夜11時くらいまでのかなりハードワークをしていた。会社もそれを望んでいたし、自分自身にも長時間労働の体質があるなと感じていた。でもあんまりつらいっていう感覚はなかった。

入った当時サイトのリーダーだった人が部署が変わって、僕はサイト運営全体も見るようになり、利益の何%かを貰えるようになった。利益を上げるために色々と考えるようになった。勝間和代の利益の法則みたいな本が一番役にたったかな。

その後、もう一つアダルト向けのライブチャットサイトを始めることになり、僕は子会社の社長になった。まぁ、名ばかり社長で、親会社と同じオフィスで仕事をしていた。当時のアダルトライブチャットはDMMや海外サイトの大手がいくつもあって、まったくうまくいかなかった。売り上げが0円の日も多く、リアル社長に毎日怒られた。

色々あって、サイトは閉鎖となり、結果的に子会社はまた親会社と合併して、なくなったが、その前に僕はここにいる必要がなくなったと感じ、会社を辞める決意をした。しかし、リアル社長から「システム部に移らないか」と言われ、プログラミングに興味があった僕はそれを受け入れた。給料は最初に戻って、22万円くらい。てどりは20万円を切っていた。当時僕は30歳くらいで、結婚していて、子どもが2人いた。そしてちょうど3人目の妊娠が分かったくらいの時期だったと思う。そして僕は初めてシステム開発の仕事についた。

システム開発部では、PHPとMySQLを本を読みながら勉強していた。その後会社の不祥事で僕はシステム開発部を追われ、また元の会社に戻ることになった・・。ライブチャットの運営ではなく、広告代理業の仕事をした。風俗求人系のサイトを運営している会社さんに掲載する広告を提案していくような仕事だった。そこのサイトはかなり儲かっているようで、提案する広告はかなりの確率で掲載してもらえた。でも本当は僕はシステム開発の仕事をしたかった。

ある日、社長とケンカをして、僕は会社を辞めることにした。失業保険が欲しかったから、会社都合にしてもらった。それを受け入れてくれた社長さんには感謝したいと思っている。奥さんと子供3人がいることを考慮してくれたんだろうね。