僕がback numberを好きになった経緯

僕がback numberにハマった経緯を書いていく。これは僕が35歳に遭遇した女性に対する恋煩いに起因する。まぁ、彼女とは一言も話していないが・・。

当時の僕の交際ステータスは「既婚」で「子供が3人」だった(今もそうだよん)。僕はシステム開発の会社に契約社員として勤めていて、ある受託の案件に大阪の営業所で参加していた。チーム自体は20人くらいいたのだが、僕以外の19人は四国にある本社で開発していた。つまり僕は大阪の営業所で一人で開発していた。理由はたぶん僕が妻子持ちだから大阪を離れないほうがいいだろうという会社側の気遣いもあったと思うのだが、実際僕はひとりでわけのわからない仕様書と睨めっこしながら苦戦していた。勤務時間は朝9時から終電の夜11時過ぎまで、案件の終盤には土日も出勤するほどの炎上っぷりだった。こういう炎上はけしてレアケースではないが、特徴的だったのは僕が大阪で一人でいたということである。分からないことも聞きにくいんだよね・・。

当然毎朝電車に乗って、東梅田に向かうわけだが、駅に到着して職場のビルまで歩いて行く時に結構カラフルな黄色を基調としたワンピースを着て颯爽と歩いている女性の後ろ姿を見かけた。あとからすごく背が低い人だということが分かったが、すごく細くて白くてスタイルがよかった。「美人ぽいなぁ」と思いながら、僕の職場と同じ進路を歩く後ろ姿をぼーっと眺めながら歩いていた。どうも僕の通っている職場と同じビルで働いているようだ。ほぼ一目ぼれ状態で僕は彼女に恋をしてしまった。してしまったというのは僕に妻子がいるということね。正月に話題になったゲス川谷&ベッキーとか、最近話題になった宮崎議員に対する世間の目はものすごく厳しいじゃん。もちろん彼らのようにねんごろになったわけではないが。

言ってしまえば毎朝駅で出会う女性に恋をしたということなのだが、本気で僕は彼女に恋をしたし、ここまで自分が深く恋したのは、高校時代に遡る。それくらいの強度だった。

それから僕は毎朝彼女が乗る電車と全く同じ電車に乗り続けた。たまに線が乱れて、同じじゃなかった時は落ち込んだ。盆休みで彼女がいない日が続いた時もへこんだ。一方僕にまともな盆休みはなかった。

たしか9月いっぱいで案件は終了し、次は堂島の方の会社に常駐して働くことになった。

流れは以上。どのタイミングかは忘れたが、たまたまバックナンバーの歌に出会ったのだろう。メジャーな「高嶺の花子さん」なんかをyoutubeで見て、「これは・・」と思った。彼らが何か僕の心を代弁しているのではないかと、そう思い彼らの過去の楽曲をyoutubeで調べまくって「恋」という歌に出会い、僕は自分の部屋で一人泣いたのである。

山崎まさよしの「one more time, one more chance」という歌の歌詞にいろんなとこに君を探す箇所があるが、素面の時は「そんなわけないやんw」って思うが、本気で人を好きになると「ゴミ箱の中から出てこないかな」とか「facebookのこの人と知り合いでは?に出てこないかな」とか本気で思ったりする。

そういう感じで、「今すぐその角から飛び出してきてくれないか」という歌詞が僕の心に刺さった。the yellow monkeyの追憶のマーメイドという歌からもわかるが、どうも夏になると男は女に恋をして、秋にはその恋心は冷めるものらしい。というか、そういうものなんだ、秋にはこの苦しみはなくなる、と思い込ませていた。

そこから車を運転している時などには必ずbacknumberをかけ、結果として家族全員がファンになって、娘とは三重の四日市まで車でコンサートを見に行ったりしたわけであります。

今となっては良い思い出となっている。