地域ってめんどくさい

地域と学校って一心同体みたいなものです。例えばものすごく荒れている学校のある地域は荒れた地域でしょうし。いい学校のある地域はいい地域でしょう。地域と学校は夫婦のように苦楽を共にしますよね。

学校内のことは学校がやりますが、学校の門から一歩外れると、学校はノータッチであります。ですが通学路の安全が守られなければ、学校運営は始まらないわけで、通学路は地域の自治会の人たちが担当して、生徒の安全を守るわけです。幼稚園であれば保護者が幼稚園の送り迎えをしますね。

ブログのタイトルから話が逸れたか・・。地域はめんどくさい。保守的で伝統的である。伝統が一概に悪いわけではないが、伝統にはいい伝統と悪い伝統がある。伝統を守る人たちはそれを全部守ろうとする。変えようとしない。変わろうとしない。伝統を守ることはたいしたことではない。昨日やったことを同じように今日やる。去年やったことを今年も同じようにやる。それってたやすいことだよね。

いい伝統はこれでいいが、悪い伝統、今の時代に合わない伝統は本来は積極的に変えていくべきであります。それがなかなかできないのが、地域であります。

学校と地域とでの力争いのようなものもあるように思える。校長とPTA会長、どっちが上か?とか、校長と地域の大御所はどっちが上か?とか。基本的には地域の大御所の方が学校長よりは力があるように思える。

地域内に由緒ある神社があったり、秋のお祭りが盛んな地域は特に地域愛のある人が多く、めんどくさい。

インターネットの普及によって、世界的にコミュニケーションが密となり、文明は過去に例を見ないほど進化している。そして今まではドラえもんの道具のような発明を繰り返してきたが、ついにドラえもんそのものを創造しようとしている。いわゆる人工知能ですね。人工知能の進化によって、現在の約半分の仕事がなくなるそうな。そして未来の子供達の約半分が今存在しない職業についているそうな。そう考えると子供達にはなんらかのチャレンジが必要です。

時に伝統は人の発想力、創造力を奪う気がする。チャレンジする気持ちを奪う気がする。

地域は伝統を守ろうとする、地域は粘着的で、意固地で、めんどくさい。

多くの人が地元を捨てて、東京へ行く理由が分かった気がする。